切実な問いEarnest Questions
1 ビューティ&ウェルネス専門職大学Professional University of Beauty & Wellness ◇ Kanagawa, Japan
2 東京慈恵会医科大学The Jikei University School of Medicine ◇ Tokyo, Japan
© 2025 特定非営利活動法人日本小児循環器学会© 2025 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
「探しものは何ですか? 見つけにくいものですか? カバンの中も机の中も探したけれど見つからないのに まだまだ探す気ですか? それより僕と踊りませんか?」
今から50年以上前の1973年,井上陽水氏が発表した『夢の中へ』の歌詞です.陽水氏の探しものは見つかったのでしょうか? 僕はといえば,医師になって40年以上経つのに,ずっと探し続けている「問い」への答えをいまだに見つけられていません.そんな有様の僕が,今回は若い方に向けて「問い」の大切さをお伝えしたいと思います.
ハル・グレガーセン氏の『問いこそが答えだ』という本があります.この本では本質的な「問い」を立てることは解・答えを得る以上に重要だということを強調しています.また,僕らの大学受験期には入試問題に頻出していた評論家・小林秀雄氏は,『学生との対話』という著書の中で,「問いをたてることが何より大切である」こと,問うこと自体の意味を学生に対して厳しく問い直し,「切実な問い」を立てることを学生に求めました.小林氏はこのように言っています.「本当にうまく質問することができたら,もう答えはいらないのです.この難しい人生に向かって,答えを出すこと,解決を与えることはおそらくできない.ただ正しく訊くことはできる」と語りかけ,答えばかりをすぐに求めて焦る学生達の姿勢をたしなめました.僕が小林氏になりかわって,若い方に言っておきたいのは,自分にとって何が「切実な」問いなのかを,とことん問い詰めてほしい,ということです.
僕にとっての「切実な」問いは,「何故,こどもが親よりも早く,死ななくてはいけないのだろう」ということです.小児循環器医になったばかりのころに,恩師である新村一郎先生が教えてくれた「世の中で一番しあわせな言葉」を皆さんにご紹介したいと思います.「じじ死ね,ばば死ね,父死ね,母死ね,子死ね,孫死ね」です.これは江戸末期,九州博多の聖福寺に仙崖和尚という名僧が,殿様に「正月なので,何かめでたいことを書け」と言われて金屏風に書いたとされる「祖死父死子死孫死」に由来します.めでたいことを書けと言ったのに「死ね」ですから,殿様は機嫌が悪くなり,「ならばめでたくないことを書け」と言うと,仙崖和尚は,今度は「孫死子死父死」と書いたそうです.すでに気づかれているかと思いますが,語順,つまり,死ぬ順番,流れが重要なのです.親より先にこどもが死んでしまうこと,常の流れが逆になることは不幸なこと,不条理なことで,流れどおりに親が死に,こどもが死んだ後に孫が死ぬことが「めでたい」ことだというのです.しかし,小児循環器医を長く続けていれば,必ずこの不幸に遭遇します.そのたびに僕は「どうして?」と自らに問い続けていました.未だに,この問いの答えは見つからないのですが,それでも自分に少しでもできることがあるならば,この不幸が起こらないようにすること,少しでも先延ばしにする手助けをすることが自分の仕事だと思って,臨床,そして基礎研究に携わってきました.そのなかの具体的な問いのひとつが,肺静脈狭窄症という病気でした.小児科医として脂ののっていた7年目だったと思います.無脾症候群で肺静脈狭窄症を合併している患者を受け持ちました.何度も何度もバルーンによる肺静脈拡張術を施行しましたが,状態の改善は一時的で最終的に亡くなってしまいました.さらにつらかったのが,その子が亡くなった同じ夜に,肺高血圧症の患者も立て続けに亡くなり,臨床医としてのやり場のない無力感に襲われました.この経験,肺静脈狭窄という病態への疑問は,僕の中でずっと「切実な」問いの種として心の奥深くに残りました.
話を「問い」が全てである,ということに戻します.「問い」が全て,と僕は強調してしますが,ある事柄に真摯に向き合っている人達にとっては,「問い」自体を思いつくことは,実はそんなに難しいことではないように思います.アルベルト・アインシュタイン氏は「I would spent 55 minutes thinking about formulating the problem and give 5 minutes trying to solve it.」という言葉を残したそうです.この言葉は問題を解決するためには,「問い」を徹底的に吟味することこそが重要であることを示唆しています.やる気のある人ほど,臨床や研究をしていると様々なことを疑問に感じて,いろいろなことに手を付けるかもしれません.大切なことは,数ある問いの中で本当に自分にとって「切実な」問いを選ぶこと,問いそのものに真剣に向き合い,考え続けること,逆に言えば切実でない問いはあえて捨て去る勇気が必要です.人生は決して長くないので,あまり切実ではない問いに時間を費やす余裕は僕らにはないはずです.
そして,ちょっとだけ補足すれば,自分にとって切実な問いが立てられたら,周囲の「優しい」助言は耳に入れないほうがよいでしょう.とくに上司や先輩,「偉い」人からの優しい忠告は,時に皆さんを惑わし,切実な問いから遠ざけてしまうことになるかもしれません.こんなこともありました.僕は聴診があまり得意ではなかったので,カセットテープがCDに代わり始める時代に,先輩に「聴診器もデジタル化すれば,聴診が苦手な僕でも正しく聴けるように思います.聴診器のデジタル化は可能でしょうか?」と問いを投げかけたところ,そんなこと考えるよりもっともっと多くの患者さんの心音を聞いて聴診能力を上げろ,といわれ,それに素直に従って,聴診器のデジタル化に真剣に取り組むことはなく,この問いはお蔵入りになってしまいました.今は市場にデジタル聴診器が出回っています.先輩に忠告されたら引っ込んでしまうような「問い」は,今にして思えば,「切実な」問いではなかった,とも言えます.先輩に悪気はなく,僕のためを思ってくれた優しい忠告だったのですが,皆さんの可能性を潰すのは,案外,身近な人かも知れません.
「命短し(切実な)問いせよ,若人」.
This page was created on 2025-10-08T18:46:05.186+09:00
This page was last modified on 2025-11-06T14:05:01.000+09:00
このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。