自分が入院患者になってから
静岡県立こども病院 循環器科
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私自身,生来身体は丈夫なほうであった.医師としてのキャリア後半に至るまで,入院や手術の経験はなかった.ところが,8年前に脊柱管狭窄症を伴う腰椎椎間板ヘルニアを発症し,人生初めての手術を体験することになった.それまで何千人もの患児に入院のうえカテーテル治療を提供してきたが,この時は自分が受ける立場となった.同業の先達からは,職業病だね,と言われた.若い時分には病院に備わっていた汎用の放射線防護プロテクターをそのまま装着して心カテに臨んでいた.12年程前に上下セパレートタイプの高性能なものを購入し,腸骨でその重さを支えるよう正しい装着を心がけた.しかし,時すでに遅しであった.
精査を進めるにあたり,整形外科クリニック医師と相談し,居住地の静岡市内で最も手術成績のよい病院を紹介してもらった.担当医によると,椎間板ヘルニアの8割は,明らかに突出し脊髄や神経根を圧迫していたとしても,マクロファージが貪食するなどして自然軽快が期待されるので,2週間は経過観察が勧められるという.椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛は,心筋梗塞,クモ膜下出血,尿路結石とならんでヒトの4大疼痛であることはよく知られている.私の場合,神経ブロックや,リリカ・トラマールの併用も無効で,勤務できないどころか自宅で動けないまま持続的な激痛に耐えられず,1週間足らずで入院を余儀なくされた.手術としては,片側L4-L5間の椎間板髄核の切除のほか,狭窄した脊柱管の拡大のため椎体の一部を切除するやや大がかりなものとなった.術後2日間は体位変換が制限され,疼痛対策にはPCA(患者調節鎮痛法)が導入された.なんとか術後の苦痛の山は短期間で乗り越えられ,経過としては順調で,腰に5 cm程の創を残し,術後5日で退院となった.
初診時から,担当医の説明は詳しくわかりやすかったばかりでなく,言葉遣いが丁寧で,身だしなみも好印象であった.また,事務職員,技師,看護師,看護助手の方々も同様であり,おそらくは患者と家族の苦痛や不安を軽減させるための一貫した方針であったと思われた.院内の役割分担や運営システムも非常に整っていた.過去に,自分の肉親の大きな病気や入院・手術に際し付き添ったことが何度かあった.そのような経験にもとづき,自分の診療においては接遇に留意し,丁寧でわかりやすい説明を信条としてきた.しかし,十分には至っていないことに気づかされた.この入院で学んだことは,
といった患者としての立場である.その後の自らの診療に明らかな患者目線が加わる貴重な経験となった.以降,治療前後の説明や外来診療にはより時間をかけるようになり,笑顔を絶やさないよう心がけた.
足腰の症状は何事もなかったかのように回復し,趣味のスポーツも普通にこなしていた.しかし,今から3年前,同側L5-S1間の脊柱管狭窄症を伴う椎間板ヘルニアを発症した.この時には,脊椎外科・スポーツ整形・小児整形の専門医を取得し国内留学のあと当院に復帰していた整形外科医に相談した.彼によると,この分野は一部の病院で内視鏡手術が著しく発展しているとのこと.東京都内の脊椎内視鏡手術専門病院を勧められた.この病院は国内随一の,おそらく世界的にも有数な低侵襲手術の件数と成績を誇っている.ただし,受診しても大部分の患者はすぐに手術を勧められない.CTやMRIの画像ばかりに頼らず,生活歴や症状を詳しく問診し,丁寧な診察をすることで,本当に手術が必要な症例かどうかを見極める.結果として,全国から手術目的で集まる紹介患者の一部が手術適応となり,残りは保存的治療,すなわちリハビリや生活習慣改善を勧められる.まさに理想的な集約化をみるようであった.一方,自分の病状は部位も程度も前回より悪く,すぐに手術適応と判断された.再度の骨切りは必要であった.加えて,当該の椎間板を完全に取り除き,PEEK(ポリエーテルエーテルケトン)と呼ばれる高性能プラスチックでできたインプラントで置き換え,内部に切除後粉砕された自骨を注入し上下の椎体間の骨化を促す.そのうえで左右計4本のスクリューを椎体に打ち込んでロッド(それぞれ太さ1 cm程度)で架橋し固定するというものである.この「内視鏡的椎体間固定術」では,数年前に薬事承認された新規医療機器が用いられることになった.経皮的に送達するとは想像もできない大ぶりな材質だが,X線透視も併用し正確に局所に植え込むという.我々の分野で小児心臓外科と小児循環器科が同時に協力して施行するハイブリッド治療によく似ている.大腰筋を分けることなくごく限られたスペースからアプローチするため,回復は著しく早く,苦痛が少ない.ただし,重要な動静脈や神経叢が近接するため非常に繊細な注意を要し,特にL5-S1間は難易度がより高い.日本脊椎脊髄病学会の専門ワーキンググループがPMDAとの相談のもと定めた適正使用指針が存在し,症例のレジストリー登録もされている.手術に関するそのような説明を克明に受けた.よくある図や書面のみではなかった.患者毎にタブレットを渡され,誰にでもわかりやすいコンテンツを閲覧した上での説明と同意取得であった.そのタブレットには,受診前後,入院前後の接遇に関するアンケートのほか,臨床研究のための回復度調査なども盛り込まれていた.前回の病院と同様,接遇と運営システムの充実を体感したのである.
術後の鎮痛剤は内服のみ.翌日には歩行でき,3日後に退院となった.この2回目の入院では,あらためて以下のような事柄を再認識した.
人生の後半となり自分に降りかかった病気の体験は,間違いなく自分の診療活動を向上させる影響を与えた.本来ならばもっと早くに意識すべき内容ばかりでいささか後悔している.関係した医療従事者や家族への感謝の思いを,社会貢献に生かし続けたい.身の上話ばかり述べてきたが,最後に学会誌の巻頭言らしいことを残して結びたいと思う.医師としては,自施設の診療で最善を尽し,後進を育成することは重要であり,かつ常に進歩が求められる.キャリアを積み重ねるにしたがい,業務の中でそのような診療以外の学術活動や社会活動の占める割合が増え,その分野も多岐にわたるようになる.例えば今,米国での循環器内科カテーテル治療学会におけるHBDセッションと会議などを終えた帰りの機内で,この原稿を書いている.数年前までは,ただでさえ難解な規制科学の討論の座長を英語で務めるなど想像もしていなかった.稀少な小児心疾患・成人先天性心疾患患者に適切な医療を早期に届ける使命感と,同じ志をもつ仲間からの激励が,自身の努力を後押ししている.HBD活動は20年を超え,8年前から始まったHBD for Childrenも年々発展し,長らく続いた日本の小児循環器領域のデバイスラグ/ロスも一歩一歩改善されつつある.近年,データサイエンスの利活用や産官学の連携の重要性が増し,学会活動の大きなウエイトを占めるようになった.政治や医療経済への働きかけが次の課題である.ほかの課題も枚挙にいとまがない.縦横の繋がりを大事にして今後も貢献を続けるよう,気持ちを新たにしたところである.
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