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特定非営利活動法人日本小児循環器学会 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 39(3): 115 (2023)
doi:10.9794/jspccs.39.115

巻頭言Preface

春楡随想Essay on Elm

北海道大学大学院医学研究院小児科学教室Department of Pediatrics, Hokkaido University Graduate School of Medicine ◇ Hokkaido, Japan

発行日:2023年12月1日Published: December 1, 2023
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北海道大学の広大なキャンパスには落葉高木であるポプラや春楡(ハルニレ)が多く生息している.春楡は英語でElmと呼ばれ,北大キャンパスが「エルムの森」ともいわれている所以である.正門から入ると本部前に古樹の春楡が数本立ち並んでいるのを目にするが,これは1902年に新渡戸稲造の妻メアリーが北大の前身である札幌農学校の校舎新築に併せて寄贈した24本のうち今なお生息し続けているものである.樹齢120年を超えてなお悠然と佇んでいる樹姿に歴史の重みを感じずにはいられない.さて,新渡戸稲造は1877年から札幌農学校に二期生として学び,米国に留学したのだが,後年海外諸国が知り得なかった日本固有の精神性を自らの英文で「BUSHIDO(武士道)」として著し,世界に広めたことで有名である.1899年にアメリカ合衆国で出版されると大ベストセラーになり,当時第26代大統領であったセオドア・ルーズベルトも愛読した名著である.そして120年あまりを経た現在においてもその思想は春楡とともに色褪せることがない.武士道と聞くと,ややいかつい印象をあたえるが,ここでいうBUSHIDOとはnoblesse oblige(フランス語で,「高き身分の者に伴う義務」)のことであるとしている.日本で成文化されずに数百年にわたって根付き熟成されてきた,高貴な身分を持つ者が備えてきた道徳観を言語化したもので,中世のChivalry(騎士道)よりも深い意味があるとしている.それゆえに,今なお欧米では日本人の高い精神性を評価しているわけである.

さて,少し日本語訳BUSHIDOを読み進めていくと小児循環器医療に携わる我々にとっても強く心に響くことが記されていることに気がつく.例えば,本書で最も重要とされている「義(rectitude)」の概念である.義は人の路で,卑怯な行動や不正な行為を厳しく非難し,学があっても義がなければ世の中に立つことができないとしている.次に「勇気(courage)」を挙げ,正しいことを認識してもそれを行わないなら勇気がないということを記している.臨床の現場でも知識ばかりが先行して行動を伴わないと後に大きな後悔を生むことを我々は何度も経験しており,知行合一の精神は必要不可欠なものと感じている.「仁(benevolence)」はチームリーダーが備えるべき惻隠の心(寛容,同情,慈悲など)のことで,義が過ぎると硬直的になり,仁が過ぎると弱さにおぼれるとしている.さらに,「礼(politeness)」,「信(veracity)と誠(sincerity)」,「名誉(honour)」,「忠義(loyalty)」へ続いていく.この一連の徳の上に「私益にとらわれない」という精神性が含まれていることに脱帽する.対価を求めず自己犠牲の精神を重んじるわけである.今どき,そんな窮屈な人生を好む人なんていないだろうけども,刀を差すことを許されていた時代に必要とされた倫理なのだということは理解できるし,現代版に解釈することでBUSHIDOはいかようにも我々の心に浸透する.

小児循環器医療というのは特殊な知識,技量を要すもので,誰でも簡単にできるものではなく,志にはある程度の覚悟も必要である.小児科医も心臓血管外科医も多職種の方もこの領域のエキスパートになればこそ高い道徳観noblesse obligeを持つべきであり,決してその権威を振りかざしてはならない.

新渡戸は,武士道そのものはやがてわが国で薄れ廃れていくだろうと本に記しているが,完全に無くなることはなく,その美徳は時代とともに変容して生き続けるとしている.

ところで,春楡の寿命は500年以上ともいわれているそうだから,我々の想像を超えたはるか彼方の未来にもあの雄大な樹姿をBUSHIDOの香気とともに残していってくれるのであろう.

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