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特定非営利活動法人日本小児循環器学会 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 37(2): 71-72 (2021)
doi:10.9794/jspccs.37.71

巻頭言Preface

あれから10年A Decade Has Passed

日本大学医学部附属板橋病院小児科Department of Pediatrics and Child Health, Nihon University School of Medicine & Itabashi Hospital ◇ Tokyo, Japan

発行日:2021年8月1日Published: August 1, 2021
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本稿が出る頃には,少し時節を外れてしまうが,執筆中に東日本大震災から10年目となる日を迎えた.巻頭言としては,重い話になるかもしれないことをご容赦いただきたい.

中越地震の後,消防法に抵触する建物の5階にあった我々の医局は,2年後に安全のため別な建物の5階に移動した.新しい医局で5年が過ぎた2011年3月11日の午後,医局で昼食後の歯磨き中に,経験したことのない,大きく床がうねるような揺れを感じた.数秒,「ウッ?」と身構えたが,尋常ではない揺れ方に,口を濯ぐのも忘れ,歯ブラシを持ったまま5階から階段を駆け降りた.階段も揺れていたが,恐ろしかったのは壁と天井から,パラパラ,次第にボロボロと建材の欠片が落下し,横にも飛んできたことを覚えている.

医学部のキャンパスの地面に降りられた時は安堵したが,まだアスファルトの地面が波打っているのが目視でわかり,数十名の職員がやはり建物から出てきて,座り込み,泣いている職員もいた.

はっと「病院は?」と思い,外来に行くと,15時過ぎだったためか比較的落ち着いており,意外と通常に診療されていたように記憶している.3階にある小児科病棟について大きな問題がないことも連絡が来た.上層階の他の病棟や,処置中の部署ではかなり混乱があったようである.

震源と程度を知りたいと思い,待合室のテレビを見て目を疑った.初めて見る,巨大津波の実況であった.高さよりも,その内陸への到達距離に驚いた.家や車が映画のように波に呑まれていた.外来の看護師さんの中には当該地域の出身の方もあり,その光景に一瞬床に膝を落とし立ち上がれなくなったが,まだ仕事のあったその看護師は,15秒ほどで立ち上がり,患児達に笑顔を見せ,点滴が空になっている患児の手から抜針をし,検診の体重測定を再開していた.

5階の医局に戻ると,数回の余震が繰り返し,恐怖感から実際の倍くらいに強く感じられた.机に横向きの本棚の中身は全て机の上と床に飛散していたが,正面の本棚の中身はほとんど動いておらず,ほぼ一方向への強い横揺れだったことを示していた.開いたまま机の上に放置していたラップトップPCは,机から椅子の座面へ落下し,閉じた上から本が落ちていた.破損が心配だったが,幸運にも再起動して問題なく動いた.その後も余震が繰り返し,今日はもうこの階にはいられないと思い,書物を床に置いたままというのはなんとも呵責があったが,足の踏み場だけはできるように最小限の片付けを行い,病院の1階へ降りて,残務もそこそこに帰宅した.

16年前の阪神・淡路大震災の記憶で,その夜,無数の火災発生を心配したが,あまり報道されなかったので,津波の中では火災は少ないと思っていた.後日調べると,岩手,宮城両県では津波によるガソリンや燃料タンクの損壊に伴う発火が,都内では2, 3日後の停電多発でのローソク等の使用による間接火災が,神戸の時とほぼ同数の300件近く発生していたようである.

東日本大震災が未曾有の大災害となった原因の一つは津波であるが,もう一つは「原子力発電所の事故」という,歴史上初の二次災害であった.放射能は新型コロナウイルス同様の「見えない恐怖」として,我々の生活を一変させ,医療者は,被災地への救援体制を遂行する部隊を組む一方で,放射能と停電に備えた管理を迫られることになった.

岩手県で病院長を務められていた先輩医師が,患者さんの上層階への避難のため,搬送を指揮しながら波に呑まれた話も知らされた.東京電力に勤め,現場管理をしていた高校の同級生は,福島第一原発の担当で所長と連日対応にあたり,10月まで一度も帰宅できなかったと,後日話していた.

自分には直接に迅速な対応はできず忸怩たる思いがあったが,6か月後に,被災地の医療支援の一つとして,日本小児科学会から募集があった現地病院の休日当直を支援に行く機会を得た.現地での余震は,東京と違い低い地鳴りを伴い,当直室の建物の床材が一部敗れて,大きな亀裂と凹凸ができていた.夜間に十人前後の診察をし,翌日は,運動会中に失神したというQT延長症候群の患児が受診するなど,小児循環器医としての出番もあり,少しばかりの自己満足感を覚えた.復興が叫ばれて久しく,仮設住宅はかなり減ってきたが,過疎化や廃炉・除染問題などまだ多くの課題が残ると聞く.医療支援についても,該当地域からの医師募集が継続的に求められている.

さらにその後10年の間に,茨城,北海道,熊本などで強い地震が繰り返された.地域によっては,小児循環器の修練施設の診療機能が一時中断し,修練施設群の組替えが必要となり,その申請を審査し,現地の大変さを実感した.専門医修練に相応しい診療についての基準緩和はできないので,一時的に組み替えをしていただいたが,その後1年で無事に元の体制を復活され,そのレジリエンスに敬服した.災害による同様の不安を抱える地域は,他にも少なくないのでは,と感じている.

10年が過ぎたということは,感慨では済まない.SARS,MARSの後,恐れていた新たなウイルスによるpandemicがCOVID-19として訪れたように,地震災害も「次はいつか」という,「考えたくない,しかし想定しなくてはならない事態」に確実に近づいている.日本小児循環器学会では,COVID-19の増加に対しては,ポータルサイトや対策チームを立ち上げ,迅速に対策を行った.ワクチンも本年中には普及すると思われるが,しばらくは感染予防も併行して行わなくてはならないであろう.この状況下で,日本の宿命である大地震が起こった場合は,一層複雑な問題となるものと考えられる.小児循環器医療において,知識経験を持つ学会員同士や,被災経験のある患者さんに意見をいただき,病院受診,在宅医療,処方薬,周産期管理など,自分たちの今の職務を超えることも含め,何をすべきか,何ができるかということについて,危機管理として未然かつ定期的にシミュレーションや対策を練っておく備えが必要ではないかと思う.

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