海外での小児心臓外科手術(東南アジア事情)Pediatric Cardiac Surgery in Southeast Asia
愛媛県立新居浜病院心臓血管外科Department of Cardiovascular Surgery, Ehime Prefectural Niihama Hospital ◇ Ehime, Japan
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心臓外科医の海外臨床留学は,外科修練の一つのツールとして位置付けられ,心臓外科におけるその歴史は比較的長い.しかし現在本邦心臓科学の成績は世界的に見てもトップクラスであり,知っておくべき情報及び技術を知ることは国内で十分可能な時代になった.筆者は旧研修制度にて心臓外科医局へストレート入局,静岡県立こども病院を中心に小児心臓外科修練を積み,カナダ(McGill大学附属モントリオール小児病院),マレーシア(National Heart Institute Malaysia)と比較的短期間に北米・東南アジアの異なった地域で貴重な臨床経験を得ることができた.少子高齢化が進み,適切な施設集約化の必要性が多く提唱されている本邦にて,今回は主に東南アジア地域での先天性心臓外科臨床活動の経験及び今後の展望について述べたい.
National Heart Institute Malaysia(Institut Jantung Negara: IJN)として1992年Kuala Lumpurに設立され,2011年増築に伴い小児心臓センター(Pediatric Congenital Heart Center: PCHC)が併設された.当時年間約1,400例もの小児心臓手術を手術待ち患者リストを減らすために行わなければならなかった.それは宗教的行事も含め比較的休日が多いこの国において1日平均7~8例の小児開心手術を行わなければならないことを意味する.そして①2011年先天性心臓外科医師の退職に伴う年間症例数の減少及び手術待ち患者リストの膨大化,②新生児医療技術,単心室を中心とした複雑心奇形に対する治療希望患者増加に伴う診断及び治療技術の向上といった問題解決が急務であった.そうしたなか,私自身のさらなる臨床経験の研鑽(手術経験数維持)の希望,IJNの静岡県立こども病院を中心とした日本からの治療知識及び技術の共有といった要望が重なり,2年間(2014~2016)働かせていただく機会を得ることができた.
さて,IJNで日本人心臓外科医師が臨床医として参加してきた歴史は比較的長く90年代より多くの先輩日本人心臓外科医が臨床業務に従事されてきた.病院開設当時IJNには先天性心臓外科専属医は存在せず一部の心臓外科医が成人から先天性手術まで行うというスタイルで行われており,多くの先輩日本人心臓外科医は主に成人心臓手術に従事されてきたとうかがっている.一方小児循環器内科医によるカテーテルインターベンションの歴史は東南アジアの中でも最も古く,デバイスによる心房中隔欠損孔閉鎖術,高周波カテーテルを用いた肺動脈弁穿孔術などはかなり早い時期から導入され,本邦からも多くの小児循環器内科医が研鑽に(短期間あるいは長期間)訪れている1).
さてマレーシア国内において,基本的に日本医師免許での医療行為そのものは可能だが,長期滞在を目的とする外国人医師に対するビザ取得条件は様々な理由からマレーシア国内関連部署により随時変更されているのが現状である.
当時1日あたり3~4室(2例/1室)すなわち6~8例/日の先天性心臓手術が毎日行われており,土曜日もほぼ毎週末枠が埋まっている状況だった.私が滞在していた頃,1名の先天性心臓血管外科医と数名の成人心臓外科医によってそれらの対応が行われており,各症例に対する執刀医は主に小児科医によって決められていた.
当時は既に少し手術数が減少し始め年間約1,200例の先天性心臓手術が行われていた.その内訳は開心術が約960例(TOF根治術約220例,Rastelli手術約110例,Jatene手術約50例,Truncus根治術約15例,TAPVC根治術約20例,AVSD根治術約60例,CoA or IAA complex根治術約30例,BCPS手術約100例,Fontan手術約60例,その他ASD閉鎖,VSD閉鎖術が大多数を占める),姑息術は240例であった.以前当雑誌からも報告されているようにカテーテルによるPDA stenting,肺動脈弁穿孔術が古くから大変多く行われてきていることからも1),比較的外科姑息術数は開心根治術数に対して少ない印象であった.
このような環境の中,私自身,毎日2例以上の先天性心臓手術を経験させていただく機会をいただき,自身の執刀回数も増え,2年目からは私自身がPA, NPを前立ちにして手術を行う機会が自然と増加し2年目後半はJatene手術執刀から若者へのTOF手術指導的助手まで多くの経験をさせていただくことができた.一方,限りある手術枠は内科医にとって非常に大切であり,当日朝に何らかの理由にて2例目が中止になっても,1例目が終了する頃には必ず代わりの症例が予定されていた.小児科医の「一つの手術枠も無駄にしない」と言う気迫さえ感じる時であった.無論,外科医は依頼された症例は対応する必要があり,目の前にある環境であらゆる先天性開心術を完遂させるという,独り立ちする心臓外科医に必要な全ての要素を短期間に体得することができ,慌ただしいながらも大変良い経験をさせてもらえた.一方,小児循環器内科部長が「ASD, VSD,姑息術に関しては長期間待たせる必要はなくなった.しかし今僕の患者リストの中で待っているTOF根治術100例,Rastelli手術90例,Jatene手術20例,BCPS手術80例,Fontan手術80例などあわせて700例近くの症例を何とかしたい」と言われていたのを今でも鮮明に覚えている.そして数年待機している患者の中にはチアノーゼなどの影響により血行動態は大きく変化し改めて手術適応を当時の静岡県立こども病院の仲間の力を借りて議論を重ねて診療を進められたことは,私にとってもまた大きな財産の一つである.そして,私と同年代の先天性心臓外科部長Dr. Sivakumar Sivalingamが当時マレーシアではまだ行われていなかった両側肺動脈絞扼術,RV-PA conduitによるNorwood手術,多脾症候群に対するhepatic-azygos connection手術など私と共に積極的に導入していき,将来IJNでの治療方針選択の一つに取り入れていく姿勢には感銘を受けた.
このような週末もあまり関係のない忙しい日々ではあったが,IJN院内での現場仲間との交流は言うまでもなく,院外では合間を見つけて積極的に日本からは距離的時間的制約にて参加が難しかった地域の学会,勉強会には積極的に参加し多くの国の医師たちと交流することを意識した.そして現在多くの仲間たちは各方面で活躍し,現在も時々症例検討を受けたり,いろいろな企画に参加させていただいたり,帰国後幅広い視野を持って外科医を行うことができる基礎となっている.また筆者は帰国後も定期的にIJNへの手術訪問を継続する機会をいただき,2020年には約3週間/1回の滞在を合計4回/年を計画していたが同年1月上旬の第一回訪問を最後に残念ながら残りの予定は国際事情により全て中止となっている.
IJNでは開院当時から(東南アジア施設でよく行われていることだが)世界的に著名な術者及びそのチームを招いて多くの手術が行われており,古くより日本からも成人,先天性領域を問わず多くの術者が招かれている.私の滞在中も欧米,日本国内から著名な先生方を含めた合計6つの医療チームが訪れ,実際手術を一緒に行っていくなかで学会会場では得られない多くのことを学ばせていただき帰国後自身の症例に対しても非常に有益な経験をさせていただくことができた.このように短期間で多くの世界的に著名な外科医から直接手術を体感させていただけるのも東南アジアならではの特徴ではないかと思う.そして本国(日本)ではあまり経験しない貴重な症例も多く存在し,国際学会発表及び論文業績として残すことができたのも多くの方々からの教えによるものであり大変感謝している.
東南アジアを中心とした地域への臨床留学を考える小児心臓外科医の多くはさらなる手術研鑽,即ちAdvance trainingを目的とすることがほとんどであると思われる.やはり基本的手術手技,知識を身につけた専門医取得後のプログラム参加が望ましい.一方多国籍医師からなるプログラムへの参加,つまり異文化での競争社会に身を投じる上で,少々のストレスに耐え抜くための“若さ”というものが強い武器になることも事実である.そして家族子供の年代も含めた家庭環境を考慮すれば,予め適切な渡航時期を計画することは可能であり,それに向けた早めの準備が肝要である.
私が医療先進国の一つであるカナダで臨床研修を行っていた際『目標基準=指導者,施設』であり,それは日本の先進施設での研修と同様であると感じた.そして昨今世界的外科治療の成績向上は目を見張るものがあり一概に言えることではないが,当時私がIJNで働かせてもらっていた時は,『目標基準=自分自身』を常に気にかけていた.このようにどのような地域であっても,周りからの要求と自分自身の目標設定とのギャップを常に意識しそれを修正していく感覚を持ち続けることが肝要である.そして常に一方向ではなく双方向学習,お互いの情報共有,といった意識も重要である.
臨床成績も世界トップクラスである本邦において,外科医業のみに集中させてもらえる海外臨床留学は短期間で多くの経験を積み重ねることが可能であり,経験的学習が非常に大切な外科修練において有効な手段の一つである.そして今後さらに多様化していく医療界,社会全体において若い時期に異文化社会での社会/職場生活は将来多くのヒントを与えてくれるものであると思われた.
海外での臨床医療活動は多くの出会い巡り合わせが重なって実現するものでありそれぞれの時代・環境によって大きく異なってくる.今回私自身多くの方々のお世話になりこのような経験をすることができたこと,そして改めて皆様にお伝えする機会をいただけたことに感謝申し上げたい.
1) 田中敏克:クアラルンプール留学報告.日小児循環器会誌2007; 23: 77–79
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