ミテルFulfill the Time of One’s Life
兵庫県立こども病院循環器内科Departments of Cardiology, Kobe Children’s Hospital ◇ Kobe, Japan
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土佐弁では,人が亡くなることを「ミテル」というそうだが,これは「満たす」の旧い形で「いっぱいにする」という意味だという.古い時代から,死を「終わり」ではなく「一生涯をいっぱいに満たした」と表現していたことに,深い感慨を覚える.
今年の5月に89歳で父が亡くなったが,脳梗塞で倒れるまで,大好きな煙草をやめず,救急車に乗ることも拒否した.右半身麻痺の中,敗血症を併発した胆嚢炎の手術をかろうじて乗り切り,救急病院とリハビリ病院を行き来して1年3か月,その後1年間自宅で介護をしていたが,デイサービスで急変した.大動脈瘤解離であった.不自由はあったが,車椅子に座り,介助は必要であったがトイレにも行っており,頭はしっかりしていて,まだ数年はこのままいけるのだろうと思っていた.しかし,本人は数日前から何かを感じていた節があり,家族の顔をやたらと見るようになっていた.また,コロナ禍で入院したら誰も面会に来ないということもよく理解しており,ある意味,自分の死に際を「上手くやり切った」ような気がした.
後から思えば,家族の想像よりもはるかに本人は頑張っていたのだ.その年にして不自由な体でトイレに立つということも簡単ではなかったろう.胆嚢炎の緊急手術の際,救急室で中心静脈ルートを取られた時も,処置の後,今まで見たことのない泣き腫らした恨めしそうな目をしていた.リハビリ病院でも人気者で一生懸命にメニューをこなしていて「この歳なら普通,寝たきりなのに」と理学療法士さんたちを驚かせていた.ほんのわずかな骨になってしまった体を見たときに,叔母が「体中の臓器をみんな使い果たして死なはったなぁ」と言ったのを聞いて,これが正に「ミテル」なのだと思った.何かの治療の度に,どの医者も「この歳なのでもう諦めて」と言外に言いたそうだったが,頑張らせすぎた家族としては申し訳ない気持ちの半分で,誇らしい気持ちがある.亡くなる前日,母は,父の体から色んなものが流れ出す夢を見たそうだ.母は怖くて仕方がなかったようだが,父は満ち足りて,何処かへ旅立つために不要なものを捨て去ったのかもしれない.
父の姿を見ながら,私は,疾患を抱えながら大人になっていく患者さんたちのことを考えていた.
慣れているはずの採血だが,それでも涙目になっている患者もいる.普段は理知的な成人患者が,カテーテル検査室に入る段になると,毎回パニック発作を起こす.カテーテル検査はもちろんだが,私たちが「侵襲がない」と言っている超音波検査でさえもストレスの多い検査であったりする.MRIなど,閉所恐怖症でなくても「二度としたくない」と言われることもある.無機質な検査室でひとり天井を見るだけで不安になるのだろう.小さな体でも,精一杯折り合いをつけて,時には学校の先生の不理解や過剰反応と闘っている.SpO2=70%台,怒張した体表静脈だらけの細い体で,ひとりで電車に乗って働きに行く患者もいる.リスクの高い手術(しかし,医療者は必要と思う)と今の状況を自ら天秤にかけて,「これまで受けてきた恩恵を社会に返すチャンスは今しかないので,僕の選択を見守ってほしい」と言われたこともある.「妊娠しました」と突然やって来る重症心疾患の女性患者も,「言ったら反対されてたと思うから」と「相談」ではなく「決定」を告げに来る.
彼らは多少無謀でも,患者としてではなく社会の中で生きている.私たち医療者が「我慢できる範囲」と思っていることも,大変な苦痛に感じているかもしれないのに,口に出さずに,それぞれの場所で頑張っている.そんな彼らに,改めて疾患についての理解の程度を確認すると,「覚えていない」「聞いていない」「言いたくない」などという答えが返ってくることも少なくない.私たち医療者はそんな彼らの不理解を嘆いたり心配したりしているが,彼らが「言っていること」ではなく「言わないでいること」を第三の耳で聴き,診察室での様子を見守っていると,ふと思うことがある.
小児期発症の慢性疾患患者は,「親任せで,自分の病名も言えない,説明できない」と言われてきた.しかし,それは私たちの基準で調査した結果であって,そもそも,小児期からずっと疾患を抱え,社会の中では疾患があること,疾患を理解することが必ずしもプラスではないことを実体験している彼らが,「疾患を理解していない」わけがない.私たちは検査結果や統計の数字ばかりを見て,その数字の背景にあるストーリーに鈍感になってはいないだろうか.INRが低いのは薬を飲んでいないからかもしれないが,なぜ飲めなかったのだろう.薬の必要性を理解していないから,なのだろうか.彼らは,あえて分かりたくない,認めたくないだけなのではないか.あるいは分かっていてすでに自分の生き方を決定しているのではないか.私たちが説明してる相手は,決して疾患について「無知」なのではない.医療者が求める形の理解や表現ではないかもしれないが,彼らが体感しているはずの「違う形での理解」や「彼らの表現方法」に,私たちは不寛容過ぎないか.介護士は,不自由という状況を理解するために「実際にその人のいる場所に立ち,同じ姿勢を取ってみる」というが,医師は幾分かその努力が足りないのかもしれない.
私たちは今,溢れるほどの知識の海の中にいるが,それを活かす知恵を持っていなければ容易に難破する.情報の多い地図を見ながら迷子になる.本当に役立つのは行き先を示すコンパスであり,ひとつの数字,ひとつの言葉から,立場の異なる人が持つストーリーをどれだけ思いやれるかという想像力なのではないか.それがあれば,時には坂道を下る勇気,決定を引き延ばす勇気,素晴らしいことはできなくても酷すぎる状況になるのを避ける踏ん張りを持てるのかも知れないと,患者と話しながらいつも考えている.
患者も私たちも「ミテル」に向かっている.それは1歳に満たない子どもでも89歳の老人でも同じで,いっぱいにする器のサイズは違っていても,それぞれの「ミテル」があり,その量を競うものでもなければ,短い長いでもない.辛くても耐えて頑張るのもありだし,頑張らずに飄々と波に乗っていくのもありかもしれない.私たちは「全身の臓器を使い尽くして」この世を去る権利と義務,そして生物としての自然があり,その使い方については他人に決定権はない.時には,疾患の自然経過以外の理由による患者の死を経験することもあり,頑張ってきた患者やその家族,医療者の思いが中途半端にもぎ取られたような気持ちになることもある.そういう経験は未消化のまま残り,何度も思い返しては,理由や,止めることのできたタイミングを探そうとするが,私の立場からは納得が出来なくても,それもひとつの「ミテル」なのかもしれない,ひとつの命の生きた時間をその最期についても否定しないようにと,何度も思い返す.
ある学会で移行についての発表をしたとき,声をかけてくださったオーストラリアの先生に,私たちがやっていることは何処に行き着くのか分からなくてただただ惑うと嘆いたら,「それでいいんだよ,なんたって我々はthird parentなんだから」と言ってくださった.向かう先が見えないからこそ,患者と一緒にたまには同じ姿勢になって,困ったり悩んだりしてぐるぐるする,明快な答えはなく,私の言うことを聞いてくれない患者もいるけれど,そういう時は彼らにとっての「ミテル」とはなんだろうと一生懸命考える.
そうするうちに,このところ,疾患を抱えながらそれぞれの場所でそれぞれの「ミテル」に向かっている彼らを誇りに思うことが増えてきた.きっと私たちの仕事は,そんな彼らを,third parentとしてこちらも一生懸命に「見る」ことなのだろう.
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