Online ISSN: 2187-2988 Print ISSN: 0911-1794
特定非営利活動法人日本小児循環器学会 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 38(3): 145-146 (2022)
doi:10.9794/jspccs.38.145

巻頭言Preface

人を遺すということRaise the Next Generation is the Greatest Heritage

長野県立こども病院循環器小児科Pediatric Cardiology, Nagano Children’s Hospital ◇ Nagano, Japan

発行日:2022年8月1日Published: August 1, 2022
HTMLPDFEPUB3

「財を遺すは下,仕事を遺すは中,人を遺すを上とする」

この言葉をご存じだろうか? 明治,大正期に活躍した医師であり,政治家であった後藤新平の名言であり,ヤクルト,楽天で監督を務めた野村克也氏が生前,大切にされていた言葉である(野村氏は,学生時代,野球バカであった私が敬愛する監督でもある).

この言葉は,文字通り,金を持つこと,業績を残すことよりも,人を育てることが人として最も価値のあることだと示すものだが,野球という年俸や成績など数字で判断されるシビアな世界にあって,野村克也という名監督が到達した域であることに意味がある.そんな野球の世界ですら人材育成が大切なのであるから,我々の生きる医療の世界では,いわずもがなである.しかし,実はこれがなかなか難しい.

野球の世界にはコーチというまさに人材育成の仕事がある.同様に,医者の世界にも教授や講師などという肩書の仕事があるが,私たちが人を教育するための教育を専門的に受けているわけではない.恥ずかしながら私も母校の大学講師時代にそんな教育は一秒も受けていない.医者は,高度な学問や技術を後進に伝えていくことが重要な責務であるのに,人に教えるための方法論を学生時代,教員時代に教育されていない.私たちの年代の多くが,先輩医師のやり方を見て覚え,間違っていると怒られ,それを繰り返して仕事を覚えてきた.そして同じように後輩に教えてきたのが実情ではないだろうか.

しかし,もうそれが時代遅れで,大きな間違いなのは明白であろう.近年,人材育成では,いわゆる「コーチング」の手法が望ましいとされている.コーチングとは,部下との良好なコミュニケーションを通じて,部下と共に設定したゴールを目指し,必要な技術,知識,思考を培うための具体的な行動を支援して,自ら考え実行させて成果を出させる双方向プロセスである.一方的に,技術や知識を教え,上司が答えを与える「ティーチング」とは異なる.もちろん,スキルの低い者に対しては,まずティーチングなのだが,なるべくコーチングの手法をうまく取り入れ,部下が自ら考える姿勢をつくっていくべきだ.こうした手法は,リーダーや上級医には,今やあたりまえに求められる能力であり,これまでの意識を大きく変革することが要求される.

少なくとも私自身,この数年で人材育成に関する認識は大きく変わった.コーチングでは一対一で,ゴールに向けてのイメージを具体的に表に書き出し,共有するといい.問題点の整理にもなるし,深いコミュニケーションがとれる.もちろん,コーチングという定まった手法でなくてもかまわない.上司が部下と,個別の双方向コミュニケーションを取り,繰り返しフォローして,部下のゴールへ向けて真摯に支援していく姿勢を見せればよいと思う.

もう一つ,人材育成に大事なキーワードが「心理的安全性」である.皆さんもご存じのように,心理的安全性は,チームのメンバー同士がお互いに意見を出し合い,間違いを指摘することに全く不安のない状態を指す.簡単に言えば,部下から上司に気兼ねなく,ものが言え,それを上司がしっかり聞けるという職場環境のことである.Google社は,プロジェクトアリストテレスという心理的安全性に関する研究の成果を2016年に発表した.この研究では,心理的安全性の高いチームは,生産性,収益性ともに高いことが実証された.逆に,若手が上司に意見を言いにくいようなチーム(たとえハラスメントはなくても,無知や無能と思われるかもしれないという不安がメンバー間に少しでもあるチーム)では,心理的安全性が保てず,業績は低下すると結論づけた.医療の現場でいうと,うまくいっていない治療に関して上司への報告が遅れるようであれば,大きなリスクを抱えることに繋がる.Google社は,この研究を踏まえ,最高の上司とは,自分自身が直接的にパフォーマンスを発揮するのではなく,部下が最大の成果を上げるための場づくりができる上司のことを指すとし,最も高い評価を与えた.

和やかな雰囲気.若手がどんなことでも言いやすい環境.チームが同じ目標に向かって進んでいる高揚感.若手のモチベーションの高さをチームが支援する姿勢…….そのようなチームの雰囲気を作り上げることが大事だ.リーダーには,前述のような一対一の面談を行い,部下のそれぞれの思い,価値観,時には個人的な悩みを共有し,各自のゴールを目指し,常にチャレンジをさせることのできる信頼関係を深める努力も必要である.もちろん,メンバーが間違いを犯すこともある.そのようなときは,間違えたのが上司であれ部下であれ,それをだれでも指摘でき,メンバーの誤りを責めるのではなく,チームの責任として捉えて,どうすれば間違えなかったかをともに考え,対策を共有する姿勢が大切である.

小児循環器の分野では,心臓血管外科医,小児循環器医ともになり手が少なくなっているのが現状だ.数少ない大切な若手の育成には,育成のための技術的,学問的なプログラムも重要だが,育成する側(いまの中堅クラス以上の小児循環器にかかわる,すべての医師)を教育する仕組みも,また急務なことのように思われる.高度なチーム医療を継続するためにも,心理的安全性が高いチームを構築して,いかに丁寧に双方向コミュニケーションをとって後進の支援をしていくか.自戒の意味も込め,今後の私たちに問われている課題だろうと認識している.

「人を遺すということ=人材育成」は,難しいが楽しくもある.心を砕いて,部下のいいところを見つけ,褒めて育てること.つまり相手を「承認している」と伝えることが基本だと思う.実際,フェローや若手スタッフがモチベーション高く,楽しそうに働くのをみるのは,思った以上に楽しい.自分の世代で助けられるこどもの命は限りが有る,しかし,自分の思いや技量を受け継いだ医師を育て,その医師たちがさらに多くの命を助け,また次世代の医師を育てていく,そんな無限の樹形図を描ければ素晴らしい.

This page was created on 2022-09-16T13:56:09.771+09:00
This page was last modified on 2022-10-14T11:13:24.000+09:00


このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。