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特定非営利活動法人日本小児循環器学会 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 37(4): 335-336 (2021)
doi:10.9794/jspccs.37.335

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海外留学のすすめBecause It’s There

筑波大学心臓血管外科Department of Cardiovascular Surgery, University of Tsukuba ◇ Ibaraki, Japan

発行日:2021年12月1日Published: December 1, 2021
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心臓外科医の朝は早い.Canadaは大らかな土地柄で人々は比較的ゆったりとした生活を送っている印象があるが,そんな国であってもTorontoのThe Hospital for Sick Children,通称Sickkids,の朝のICU回診は6:45に始まる.冬であれば日が短いので外はまだ暗い.2010~2013年の3年間このSickkidsでCardiovascular Surgery Fellowとして勤務した.はじめはResearch fellowとして入りその後Clinical fellowとしてお世話になった.Clinical fellowでの経験は非常に有益で今の自分の診療に大きな影響を与えている.ICUのIntensivistたちと回る早朝のICU回診から始まり,その後手術室に向かう.基本的には手術室が勤務の場となる.Sickkidsでは当時年間約600件のCPB症例があり毎日並列で手術を行っていた.Clinical fellowは術者か前立ちとして手術に携わる.手術は基本的にStaffとFellowまたはResidentの2人のみで行う.手の空いているFellowは外来で翌週,翌々週の手術のICを行う.Staffは当時Dr. Glen Van Arsdell, Dr. Osami Hojo, Dr. Christopher Caldarone, Dr. John Coleがおり,Resident/Fellowは自分を含め4人いた.Staff-fellowが4組できてそのうち2~3組はその日の手術を担当するような形になる.組み合わせは月単位で変えていく.毎週金曜は成人先天性心疾患の手術があり,1組は道路を挟んで反対側にあるToronto General Hospitalで成人先天心の手術を行う.Staffは皆熟練で知識が豊富でかつ教育者であった.難しい症例も多く手術手技はもちろん,多くのことを学んだ.未だに手術術式や手技の判断に迷うような症例は当時つけていた手術の記録や記憶が非常に役に立っている.Resident/fellow 4人でIn-house call(つまり当直)とTransplant callを回していく.

Transplant callは心臓移植のための臓器を取りに行く役目だ.時間との勝負なので小型飛行機で移動してRetrieval(ドナー心臓の摘出)を行う.何故か毎回乗ると必ずSubwayのサンドイッチを渡された.一度近場に臓器をとりに行くのに警察車両(いわゆるパトカー)の後部座席で移動したことがあったが,後部座席は鉄格子がはめてあって護送されている気分だは,車両は尋常ではない速度で走るだはで二度と乗りたくないと思った記憶がある.サンドイッチはもちろんついてこない.印象的な症例はたくさんあったが,一つは30年前にDr. MustardがSickkidsで行ったMustard手術の再修復をGlenと行った症例であろうか.連綿と続く歴史や伝統を感じずにはおれぬ症例であった.

Torontoの生活はちょうどいい都会度で快適であった.基本的に晴れの日が多く夏場は非常に過ごしやすかった.Ontario湖のほとりで飲むTap Beerは最高だった.夏は日が長く夜8時くらいまで明るいのでついつい飲みすぎてしまう.

Torontoで多くを学び判断に迷いが少なくなってきた後,もう少し修行して自分の手技・判断に自信を持ちたかった自分は新天地を探した.ちょうどFellowを探していたVancouverのBritish Columbia Children’s Hospital,通称BC Childrenと運よく話がまとまり2013~2016の3年間Clinical fellowとして勤務した.このBC Childrenは年間250例のCPB症例があり,Sickkidsよりは数が少ないもののStaffはDr. Sanjiv Gandhi, Dr. Andrew Campbellの2名でFellowは自分の1名のみという環境であっため手術に入る症例数はSickkidsより多くなった.Staff同志が2人手術に入ることは基本ないため,BC Childrenの心臓外科手術症例すべてに自分が術者か前立で入る形であった.毎日On-callではあったがその分In house callはないので多忙を極めるというほどではなかった.術後はSickkids同様ICUにいるIntensivistたちが管理してくれるので重症例は共に見ていく形にはなるが基本手術が終わって安定していれば夕方には自宅に帰って家族と一緒に夕飯を食べる毎日であった.おかげで私生活も充実させることができた.Staffはこちらも熟練した技術をもっており,特にSanjivは手術が正確で速く,成績も非常によかった.新生児のArterial switch operationが正午に終わって,術後4日目で退院しているのを目の当たりにして世界は広いと実感した.当時の彼の手技から学んで自分のものにしたものも多く現在の自分の手技の確立に大きな影響を与えている.

Vancouverは西海岸にありTorontoよりもさらに大らかな土地柄で人々は大いに人生を楽しんでいる雰囲気があった.職場の誰もが何らかの形で体を動かす趣味があり特にアイスホッケーは猫も杓子も嗜んでいるような環境であった.各病院にアイスホッケーのチームがあり年に1回BC州内の医師だけが参加できる大会が催された.BC州の人口は500万人程度なのに医師のみの参加で25~30チームが参加すると聞けばそのHockey熱の異常さを感じてもらえるかもしれない.自分も偶然大学時代にアイスホッケーをやっていたこともあり参加して非常に楽しい思いをさせていただいた.Vancouverの市街地から車で30分の所に雪山が3か所あるので仕事を早めに終わらせて夕方スキー/スノーボードも可能であったし,冬季OlympicのあったWhistlerまで車で1時間半ほどなので本格的に遊ぶにも最高な環境であった.Whistlerは山2つ分丸々スキーリゾートなので1日では全て回るのが不可能な程の広さであった.Vancouverの市街地は温暖で,雪山が近いのに市街地に雪が降ることは年1回程しかなかった.そのため非常に過ごしやすい環境で今考えると贅沢な生活だったなと思える.

海外での経験は今の自分の心臓外科としての診療に大きな影響を与えている.判断に迷ったときや困難と思える症例に当たった時の大きな拠り所となっている.技術や知識を得られたことはもちろんだが仕事と家族のあり方や人生を謳歌する考え方,国や人種に関する考え方など人生観も大きく変わった.海外に行こうか迷ってる若者がいたら何のためらいもなく行きなさいと薦めるだろう.行くまでの苦労や行ってからの苦労もあるが,それすら後々の財産になる.しかし逆に海外に行くことを人生の目標にしないでほしい.そこでの経験は,その先延々と続く医師としての登山の通過点でしかなく頂上のみえない山に対する準備でしかない.そこで何を得るかその先にどう生かしていくかが大事なのだと思う.偉そうなことを言ってる自分もまだ麓だ.しっかりと山を登り続けていきたい.

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