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特定非営利活動法人日本小児循環器学会 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 37(4): 332-334 (2021)
doi:10.9794/jspccs.37.332

次世代育成シリーズ次世代育成シリーズ

オーストラリアでの小児心臓外科フェロー経験Experience of Clinical Fellow in Paediatric Cardiac Surgery in Australia

1千葉市立海浜病院 心臓血管外科Department of Cardiovascular Surgery, Chiba Kaihin Municipal Hospital ◇ Chiba, Japan

2千葉大学大学院工学研究院Graduate School of Engineering, Chiba University ◇ Chiba, Japan

3NPO法人ハートキッズ・ジャパンNPO Heart Kids JAPAN ◇ Chiba, Japan

発行日:2021年12月1日Published: December 1, 2021
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私は2012年から2019年にかけて計6年間オーストラリアとカナダで小児心臓外科のクリニカルフェローとして臨床研修を受けました.そのなかでも特に印象の深い,オーストラリア・メルボルンのRoyal Children’s Hospitalについて紹介したいと思います.

メルボルンは,オーストラリアの南端ビクトリア州の州都で,周辺も含めた人口は約500万人,シドニーに次ぐ都市です.ビクトリア朝時代のイギリス風建築が多く残り落ち着いた雰囲気で,西岸海洋性気候の暮らしやすい街です.臨床で忙しい日々でしたが,一方でオンとオフの区別ははっきりしていて,週末はオンコールでなければ家族と十分な時間を過ごすことができました.働く人たちは,ワークライフバランスを実現していて,それが人々の間に浸透していました.オーストラリアは住環境と職場が近く,また少し都市を離れると大自然が広がっています.メルボルンは雑誌「エコノミスト」の統計で3年連続「世界で最も住みよい街」となったことで知られています.物価が高いことを除けば,食事も美味しく,緑も多い素晴らしい街でした.

私は2001年に千葉大学を卒業後,東京女子医科大学心臓血管外科に入局しました.関連・出向病院で勤務後,2012年よりオーストラリアに臨床留学をしました.まず,ブリスベンにあるMater Hospitalでclinical fellowとして勤務しました.周囲がすべて英語という環境で働くというのは初めての経験でした.その後メルボルンに移り,Royal Children’s Hospitalに3年近く勤務しました.そこで小児心臓外科医としての基盤を作ることができました.

小児心臓外科学の環境は,日本とオーストラリアでは大きく異なります.欧北米・豪では症例を中核病院に集め,集約的な治療をする病院のセンター化が進んでいます.日本では各施設の年間手術数が平均100例前後であるのに対し,Royal Children’s Hospitalでは年間の開心術が550例,その他の手術を含めると950例でした.日本では心臓手術の術後管理は心臓外科医が手術の後も引き続き行うのが一般的ですが,Royal Children’s HospitalではPICUの専門チームが専属で術後管理を行います.心臓外科医は早く帰って疲れを取って,翌日の手術に万全の体制で臨めるようにする,という姿勢が求められていました.センター化により,難易度が高く頻度の低い手術であっても,成績の向上が期待できます.学術的にも,手術成績をまとめた発表や論文化が短い時間でできるなど,有利な点が多くあります.教育の面からも,若い外科医がたくさんの症例に触れることができ短期間に効率的に学ぶことができます.バラエティに富んだ解剖を手術する小児心臓外科では,やはりセンター化で得るものは非常に大きいと感じました.

心臓外科はフェローが3人,そしてコンサルタントが3人,計6名のチームでした.コンサルタントは全てヨーロッパから,フェローはすべて外国人で,チームにオーストラリア人はいませんでした.フェローの仕事は基本的に手術に参加すること,そしてPICUの手術処置(ECMO離脱,閉胸術)です.心臓外科の手術室は2つあり,それぞれの手術室で1日1~2例を行います.PICUでも午前中に処置が同時に行われます.手術はコンサルタントとフェローの2名のみで行います.前立ちとしてフェローは,手術の流れを把握し,術者と息を合わせて手術を進めることが求められました.また小児の再手術症例では剥離が必須ですが,胸骨再切開から剥離,人工心肺カニュレーションの糸掛けまではフェローの役割で,その段階で術者がオペ室に入ってくることが常でした.フェローには「Pager(ポケットベル)」が持たされます.30日間を3人のフェローで分担するので,月に10日間はオンコールでした.オンコールでは,Pagerが鳴るとすぐに対応する必要があります.特にECMO callでは15分以内にPICUに到着する必要があります.到着すると,既にCPRが始まっています.怒号が飛ぶ中コンサルタントが到着するまでにECMOの準備(消毒・ドレーピング・開胸),間に合えばフェローがECMOカニュレーションを行います(写真1).フェローの役割としてはほかに,看護スタッフへのレクチャー,M&Mのプレゼンテーションがあります.研究に関してはフェローの義務ではありませんが,私は関心のあるテーマをまとめEACTS, STSなどでの学会発表,論文発表の機会を得ました.Royal Children’s Hospitalは症例数が豊富でデータ管理が充実しており,コンサルタントの指導のもと臨床研究を進めやすい環境にありました.病院にはMurdoch Children’s Research Instituteという研究機関が併設されており,統計学の専門家,グラフィックの専門家による論文作成のサポート体制も充実していました.

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写真1 夜のPICUにて

3人のコンサルタントは素晴らしいMentorばかりでした.部長のChristian Brizardは,繊細で確実な手術手技,それを支える膨大な経験と深い知識量,誰にも愛される人柄で,最も尊敬できるMentorでした.私は一時期Christian Brizardの自宅の離れに住んでいました.Christian Brizardの素晴らしさを語るエピソードがあります.Failing FontanではPLE(蛋白漏出性胃腸症)になり,予後が悪いとされています.PLEを解決する手術法として肝静脈を選択的に心房に吻合(低圧系心房)し,下大静脈には肝臓内にカバードステントをハイブリッドで挿入し,下大静脈の血流をTCPCルートで肺動脈に吻合するという手術をChristian Brizardは考案しました(Circulation. 2016; 134:  625–627).私はこの手術に参加し,術後患者の症状が改善していく様子も見ることができました.Christian Brizardはこの手術の発案から,羊による動物実験,倫理審査など20年という年月をかけ,慎重に準備を進めてきたのでした.目の前の患者が抱えている問題を引き受け,解決策を考え,それを実現する.そのChristian Brizardの辛抱強い真摯な姿勢と努力に深い感銘を受けました.

プロフェッショナルとは

Mentorの1人であるYves d’Udekemは手術の細かいコツや外科医としての心構えを教わりました.1年目は執刀の機会はほとんどなく,前立ちのみ.2年目で少しずつ執刀の機会を与えられるようになりました.3年目には執刀医の機会を多く与えられ,コンサルタントもオペ室に入らないようになりました.執刀医の私と同僚のフェローの2人のみで手術を完遂するのです.Yves d’Udekemは手術室のドアとガラッと開けて,“Koichi, be professional!”とだけ言い残して去っていくのです.Yves d’Udekemの言葉もあり,心臓外科医としてのプロフェッショナルとは何なのか,ということを考え続けました.そこで次のような思いに至りました.プロフェッショナルになるには5つの重要な軸があるということです.1つは『Surgical Skill(外科医としての腕,テクニック)』.これには沢山の症例に曝されることexposureと,自分自身での修練が必要です.2番目に『Knowledge(知識)』.これは60年以上にわたる心臓外科の歴史全て,過去の先人達の苦労や工夫を学び尽くすこと.さらに,最先端の知識を学術会議や最新論文を隈なく読み知識量を増やすことにより得られます.3番目に『Academic Capability(今ある問題を解決する能力)』です.先天性心疾患の治療はこの数十年で飛躍的に進歩しましたが,まだまだ未解決の問題が数多く存在します.その問題を,あらゆる手段を用いて地道に解決していく作業,臨床研究・基礎研究がとても重要です.そして得られた成果を,学会や論文として世界に著していくこと.その姿勢がとても重要です.4番目に重要なのが『Generosity(惜しみなく与える力)』です.この言葉は龍野勝彦先生(榊原記念病院特命顧問・千葉県循環器病センター名誉センター長)に教わりました.心臓外科医が自分の手で患者を救うことのできる期間は限られています.自分が時間をかけて蓄積した知識や技術を次世代に惜しみなく伝えていく,次世代を教育する能力はとても大切なスキルです.Royal Children’s Hospitalの3人のコンサルタントは,たとえオーストラリアに残らない外国人のフェローに対しても丁寧に,惜しみなく教えてくれました.最後に重要なのが『Interpersonal Skill(周りとうまくやっていく能力)』です.心臓外科医1人では患者の治療は完結しません.術前診断から術前管理,麻酔,人工心肺,看護,術後管理,すべてがうまく行って初めて患者を救うことができます.周囲のスタッフとともに,「患者を救う」という同じ目的に進むことが重要です.Yves d’Udekemにある時この5つの軸の話をすると,「その通り」,と言われました.今はさらに,心臓外科医に必要な力を2つ加えたいと思います(Fig. 1).ひとつは『Resilience(折れない力)』です.雪の降る竹林の竹は雪の重さにしなっても折れることはありません.しなった竹は,やがて雪が溶けると真っ直ぐに伸び続けます.竹のようなしなやかさと強さを併せ持つことが大事です.そして『Perseverance(やりぬく力)』.一度決めた目標に向けて,やり続けること,そしてやりぬくことです.これが,プロフェッショナルな心臓外科医として生きていくためにとても大事な姿勢です.

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Fig. 1 プロフェッショナルとは?

次世代の心臓外科医の育成問題が,日本小児循環器学会でも話題になっています.海外で成功している標準的なシステムを,学び,取り入れることも解決策のひとつであると信じています.そのためには,自分達心臓外科医も小児循環器医も,さらに現行のシステム自体も変わらなければならないと思います.自分は幸運にも多くの素晴らしいMentor(恩師)達に恵まれ最高のトレーニングを受けることができました.自分の与えられた役割は,受けた教育,体験したシステムを日本の医療に還元していくということだと思います.そして,次の世代がより働きやすい環境で,日本から世界に誇れるエビデンスを発信できるような,持続的で理想的なシステムが構築できれば素晴らしいと思います.

小児心臓外科の海外での研修は,受け入れ条件がますます厳しくなり,また昨年からのCOVID-19の影響で外国人がフェローとして経験を積める施設が少なくなっています.しかしながら,海外の一流施設で過ごす数年は,様々な苦労があるものの,何ごとにも替えがたいとても貴重なものです.一流の場所で,治療を担う一人として責任を持って目の前の患者を診る姿勢を維持することで,患者を治療する心臓外科医としての姿勢,なぜ手術がうまくいくのか,重症な患者でもどのようにして助かっていくのかが理解できるようになります.次世代の小児心臓外科を担う若い外科医の皆さんには,是非日本を出て,金槌で頭を殴られるような体験をして貰いたいと思います.そしてそこで得た経験や知識を是非日本の小児心臓外科治療に還元して貰いたいと心より思います.私も,尊敬するMentor達に教わった様々な事柄をできるだけ日本での診療に生かしたいと思います.そして今の自分にできることをひとつずつ着実に進めていきたいと思います.

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