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特定非営利活動法人日本小児循環器学会 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 33(4): 267-268 (2017)
doi:10.9794/jspccs.33.267

巻頭言Preface

昔話が教えてくれることTeachings from an Old Tale

順天堂大学医学部小児科Department of Pediatrics, Juntendo University Faculty of Medicine ◇ Tokyo, Japan

発行日:2017年7月1日Published: July 1, 2017
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2017年を迎えて間もなく,日本小児循環器学会雑誌編集室より「巻頭言」の執筆依頼が届いた.正直自分にその資格があるとは到底思えず,お引き受けすることに躊躇したが,日々診療に全力投球されている先生方の息抜きになるかなと勝手に捉え図々しくもお引き受けした.執筆に当たり,ここ数年間の諸先輩方の「巻頭言」を秘書さんに集めてもらいファイルしてみた.金言の詰まった一冊の本になった.「小児循環器に携わる諸氏,未来を担う有能な若人へ捧げる金言集」と題して勝手に創刊したくなった.「ある号の巻頭言」に「感動しました」と秘書さんが呟いた….ハードルがますます上がった.諸先輩方のように豊富な経験,実績から伝えられるものが皆無の僕にとって,テーマ・内容に規定がなく自由なのは,逆に何を伝えたらよいか悩んだ.そんな折,ふと昔からよく聞いた(聞かされた)親父の昔話が頭をよぎった.

親父は米寿を迎えたが,いまだ現役の小児科開業医として頑張っていることが,僕の励みにもなっている.東京の某大学病院勤務医時代の話をする時,気持ちは当時に完全に戻っており,目を輝かせ懐かしそうにその表情は活き活きとしている.その話はもう10回以上聞いたけど….普段出来ていない唯一の親孝行と割り切って僕は「へぇ~」と毎回聞いている.

親父は勤務医時代,携わる者がほとんどいない,当時正に創成期であった小児神経を専門としていた.その親父の後輩にH先生というとても優秀で個性的な先生がいらした.臨床能力が大変高く,相手が誰であろうと,たとえ先輩や教授であっても歯に衣を着せずにズバズバと物を言う.一部の先輩方からは煙たがられていた存在だったようだ.ところがなぜか親父を慕ってくれて,親父も懇意にしていた.H先生は体調を崩されリタイアされたが,親父は片道3時間余りハンドルを握り時々会いに行っていた.お袋よりも長い付き合いだった.また会いに行こうという親父の願いは,昨年叶わぬものとなった.H先生にまつわる話は多々聞いたが,骨の髄まで小児神経の臨床家だったと聞いている.CTやMRIなどの画像検査がない時代に,それこそ文字通りハンマー一本でどれだけ難しい症例であっても責任病巣を見い出し診断したとのことだ.いくつものH先生の武勇伝を聞くたびに,若かりし日の僕はある種の憧憬の念を抱いたことを思い出す.

H先生の経歴は変わっていて,某大学のフランス文学科を卒業後に医師となられた.大変な秀才で理論派の彼は,当時師事したい小児神経学者が日本にはいないとの結論に至り,小児神経学の世界では最高水準にあったフランス行きを決めた.今から半世紀以上前の話である.日本からフランスへ留学しているのは,一部の芸術家やファッション関係者,料理人以外いない時代.私費を投じて渡ったパリ大学には医学を,小児神経学を学びに留学して来る医師はほとんどおらず,ましてや極東の島国から来るアジア人は皆無とのことだった.このため,パリ大学の小児神経学教室の教授は大変驚くとともに大歓迎してくれたそうだ.教授の外来日には必ず陪席させ,細かく教えてくれたという.

H先生が渡仏して間もなく,教授から「ルーヴル美術館に行ってきなさい」と指示された.流石に芸術を愛する国,花の都パリ.何と粋な計らいだろう.日本ならばさしずめ「大相撲○○場所が始まったから両国国技館に行ってきなさい」であろうか.文学を愛し芸術にも造詣の深かったH先生は世界最高峰のルーヴル美術館を心ゆくまで鑑賞・堪能した.翌日「ルーヴルはどうだったかね?」と教授に聞かれたH先生は,興奮冷めやらぬ感動を伝えた.教授はうなずきながらにこやかに聞いていたらしい.そして本格的な研修が始まった.ある外来陪席の日,ドアを開けて入って来た少年が椅子に座った時だった.唐突に「この児はどこが悪いんだね?」教授に尋ねられたH先生は「診察はこれからなのでまだ判らない」と答えたその瞬間,教授の形相が変わった.「君は小児神経科医ではない.ルーヴル美術館で一体何を観てきたのだ.もう一度ルーヴルに行ってきなさい!」激怒する教授の言っている意味が,その時H先生には理解出来なかったそうだ.

ドアを開ける.歩いて来る.椅子に座る.この自然な一連の動きから障害されている神経の責任病巣をまずは考えるべきであり,視診の基本中の基本である.教授が激怒した理由だった.そして「ルーヴルを観てきなさい」は,「芸術を楽しんできなさい」ではなかった.「ルーヴルを診てきなさい」だったのだ.僕自身ルーヴル美術館を見学したことはあるが,当然全く気付かなかったし,思いもしなかった.ルーヴル美術館には数え切れない数の高名な彫刻,絵画等の名作が整然と並んでいる.教授曰く,これらの彫刻,絵画のモデルには,かなりの数の神経疾患,神経障害者が存在しているそうだ.先天性疾患や感染症の後遺症,戦における神経損傷などがその原因となっているのだろうか.ルーヴルの彫刻に神経障害例が,半身不随例が何体あるか数えてくるように命じられたらしい.教授がルーヴルへ行くよう指示した理由を理解したH先生は愕然とし,そして自らの認識の甘さ・意識の低さを猛省したという.

「もしもしさせてね」いつものように聴診器を胸に当てている僕がいる.心音,心雑音を聴取しながら『あー早く心エコー当てたいなあ』と先を急ぐ僕がいる.心エコーを当てながら『あー心カテデータ確認したいなあ』『angio見たいなあ』と内心思う僕がいる.高性能な検査機器の恩恵を受けている一方,僕は一体この一本の聴診器からどれ程の情報を得られているのだろう.一枚の胸部単純X線写真をどれだけ読み込めているだろう.それも昔とは比較にならないほどクリアになったデジタル撮影写真だ.親父達世代の循環器医からは「君,その情報量では研修医いや学生レベルだよ」と笑われはしないか.こどもの頃,既に開業していた親父はしょっちゅう顕微鏡を覗きながらカチャカチャと傍らの手から音をさせていた.野鳥の会じゃあるまいし….昔より遙かに正確な,検査室や検査会社からのデータを待つ僕と,白血球も赤血球も尿も自分で覗いてカウントしていた親父.医療機器や検査室がない環境下だったら,今が何かの災害直後だったら,どんな状況下でも役に立ちそうなのは….何でもかんでもではないのだけど,やっぱり凄いな,先人って.自分には出来ていないことが普通に出来ていたのだから.僕はこの先,親父やH先生達の昔話から何を教わるだろうか.まだまだいっぱいありそうだ.親父が忘れていなければの話ではあるが.

小児循環器学会雑誌なのに他分野の話に終始し,しかも乱文となってしまいました.どうぞ休日の息抜きとしてお許し頂けたら幸いです.

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