日本小児循環器学会雑誌 Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery

Online ISSN: 2187-2988 Print ISSN: 0911-1794
特定非営利活動法人日本小児循環器学会 Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery
〒162-0801東京都新宿区山吹町358-5アカデミーセンター Japanese Society of Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery Academy Center, 358-5 Yamabuki-cho, Shinju-ku, Tokyo 162-0801, Japan
Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 31(6): 289-291 (2015)
doi:10.9794/jspccs.31.289

巻頭言Editorial

それぞれの言葉Unforgettable

東邦大学医療センター大森病院小児医療センター小児科Department of Pediatrics, Children's Medical Center, Toho University Omori Medical Center ◇ 〒143-8541 東京都大田区大森西六丁目11番1号Omori-Nishi 6-11-1, Ota-ku, Tokyo 143-8541, Japan

発行日:2015年11月1日Published: November 1, 2015
HTMLPDFEPUB3

小説家や評論家以外でも,人は人生の区切りに何気ない“言葉”を残す.

Superstarだったバスケット選手は,40度の発熱をおしてプレーオフの試合で56分間プレーした後,「However sick, however exhausted, and however low-energy, I play my best.」と振り返った.引退時には「偉大な先達者からもらったように,僕も後輩にパスをする時が来た」と.ある映画スターは,警部の役で向かってくる暴漢に「Come on, make my day.」と自分を鼓舞した.この言葉はその後米国内で定着した.アポロ着陸やサミットの際にも,ミスター同時通訳として名を残した故村松増美さん(2012年没)が米国で講演した時のこと.視覚障害の女性が「あなたは10秒に1回,目の見えない私の方に顔を向けて喋って下さいましたね,ちゃんとわかりました.今日は良い日になりました.Thank you for making my day.」とお礼を言ったそうだ.

生まれた時,「おぎゃー」という泣き声もひょっとすると何かの挨拶か,「こんにちは,生んでくれてありがとう」.痛みを克服して出産した母は,「早く会いたかった,出て来てくれてありがとう」と.一方,人生の最後には,よく聞き取れないが口元か瞳が何かを囁いている「長い間ありがとう,元気でね,さようなら」のように.

医師だった父は私の卒業時「医師になったら患者の死に目に会えても,親の死に目には会えないと思え」と.事実,父の最後はACCのFellow授与式の前の夜中,Orlandに訃報が届いた.母の時は,午前の外来終了時,急いで帰ろうとしていたところへ,姉から「昨日置いていってくれたフリージアだけは間に合って良かったわ」と.キリスト教関連の女学校に通っていた母は「花を持ってくる子は気持ちが優しい子」と言っていた.幼稚園の卒業記念で頂いた聖書の裏表紙には「光の子らしく歩きなさい」とあった.

講座の若手の目出度い門出には,「こどもの病気を治すだけではだめ,その家族を幸せにしなくては」,「人が作った道を歩くのは普通,耕された畑に種を撒くのも簡単,まず荒れ地を開拓して下さい」.外国の諺「どんな友人がいるか教えてくれ,そうしたら君の人となりが判る」.結婚を迷っている人には「気がついたらいつも傍にいてくれる人と結婚しなさい」,「結婚してくれてありがとうと言える人と結婚しなさい」,「触れてほしくないところには触れず,褒めてほしいところは言ってくれる人」が良い.子供ができたら「親への恩は子で返せ」と励ます.式場内に流れる「家族になろうよ」もジンとくる.

御指導頂いた故高尾教授は,研修最後の日に,「一人が一番勉強出来るんですよ」.退院後記を溜めている若手研修医には「ご飯食べて寝る時間があったら忙しいとは言わないですね」,「良い医師がいるとその病院はだんだん良くなるけど,良い病院に必ず良い医師がいるとは限りませんよ」と.当時のN講師からは「名前の付いた疾患はその人の原著論文を読みなさい」.入局9年後,学位論文ができ上がった時,中山健太郎前教授は「君が死んでも論文はずっと残るよ」.恩師の松尾準雄教授は「論文を沢山読み,論文を沢山書き,症例をちゃんと診なさい」.Robyn J. Barstは,我々が発表した興味ある論文をまだ執筆していないのかと訊いてきた.「Write it up!」と,一瞬で真剣な表情になった.打ち上げ花火のように効果だけが先行した,PAH治療薬には「Ben,臨床家としてエビデンスの低い報告に飛びつくのはダメよ.重要なのは,安全性と長期予後ョ」と.1976年,当時の助教授矢田純一先生は「全ての疾患で免疫は関与しているでしょう」と.青木継捻先生は「この患者が佐地君の宝物か,10年に一人位しかいないから大切に」.「医師の人生にはその領域の80%以上はその患者で勉強したという患者が数人いる」.また某国立大学にPAHの患者の往診に行った日曜の朝,その講座の教授は「小児科教授の8割は日曜日の朝10時には,部屋には来ているでしょう」と.

研修医時代1か月に26日当直して,やっと手術にこぎつけた患者を搬送したら,東京医科歯科大心臓外科の故浅野教授は「君が主治医だね,ご褒美としてここに座って手術を見なさい」と,麻酔科医の席を開けて頂き,番茶も御馳走になった.その患者は当時日本で初めての体重5 kgのMVR症例だったが,父親は弁護士で「今日は法廷がありますので娘の手術には立ち会えません」と.両親からの生体肺葉移植のために渡航を決意した11歳の女児は,「知らない人の肺ならいらない,お父さんとお母さんのなら欲しい」と.手術当日,Prof. Starnesが朝の廻診で「You are a brave girl.」と称えると,「Thank you, I will enjoy.」と覚えたての英語で返事.術後17日目,現地で12歳の誕生日に,母親が『今年の誕生日はアメリカね,Mickeyとかお祝いは何が良い?』と聞くと,「うーん,今年は肺をもらったからほかにはいらない」と.17歳のPAHで移植待機中の女子は,待ちに待った提供肺が出た夕方,翌朝から予定されている手術の励ましの電話をいれると「移植の翌日(見舞いに)来ても,まだ顔パンパンだからネ」と,良い子だった.名古屋からNYHA-IVで搬送された女児,治療に反応せずdown hillに.優しい表情だったが,最後に「お母さん,もう頑張れない」と言って静かになった.枕元には,病棟の院内学習で書いた書道が掲示されていた.丁寧な字で「家族」と書かれていた.3歳PAH,発症後3か月で亡くなった女児の母「入院後は全て先生に任せていたので全部解剖で見てください」,14歳中学生,発症後1か月で亡くなったPAH女子の父は高名なengineerで,出張先の米国への急変の電話で緊急帰国.間に合わなかったが,「君もまだ若いんだからこの病気の原因を突き止めなさい」.

40年前,M6実習中に腰部のOsteosarcomaを発症した同級生は,耐えられない骨の痛みに,元同級生の主治医に過量の麻薬を懇願した,「俺の呼吸が止まってもよいから打ってくれ」と.病室で全ての卒業試験を受けたが,国家試験の前々日帰らぬ人になった.

Sir William Oslerは「Practice is an Art based on Science.」と言い,Louis Pasteurは「Chance favors only the prepared mind. Dans les champs de l’observation le hasard ne favorise que les esprits préparés.」として発見における準備の大事さを説いた.「仕事は,運,鈍,根,感,厳」とは川崎富作先生のお言葉.孫子は「将とは,智,信,仁,勇,厳」と言った.

多くの大学教授が,現役最後の年に“最終講義”を行う.写真は平成2年,今から23年前の故高尾教授の最終講義の後に東京女子医大の中庭で撮影されたものである.途中,教授は患者の名前を呼んだ時,「○○ちゃんは残念ながら……」と言葉を詰まらせしばし沈黙の時間が過ぎた.聴いていた私は,それほどまでに患者のことを思っていたのかと驚くのと同時に,教授が言葉を詰まらせるほどの素晴らしい患者だったのか,と改めて敬服する.

Pediatric Cardiology and Cardiac Surgery 31(6): 289-291 (2015)

現役最後の巻頭言に際し,バトンタッチする若手の臨床家・研究者に,「臨床では必ずしも自分の判断が正しいわけではない,それを補うのが,本,恩師,友と妻」,そして「優れた専門医は,同時に優れた一般医である.患者は教科書であり,かけがえのない宝物だ」,困難を克服しピンチを脱したら「Blood, Sweat, and Cheers.」と賛美を贈りたい.そして「気持ちと眼差しがあれば言葉は要らない」とも.

2015年11月

This page was created on 2015-10-30T09:11:29.791+09:00
This page was last modified on 2015-11-27T09:27:35.111+09:00


このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。